数十年にわたる成功の軌跡 3世代に引き継がれた香川レガシー ローレンス・タケオ L.T.香川は、保険引受における人種差別的な査定慣行を廃止。 シクフレッド シグ香川は、メッセージ性のある強いリーダーだった。シグは、慈善事業と家業の繁栄に生涯をささげた。 スティーブン スティーブン香川は、クライアントの人生が世界のどこで展開しようとも、アドバイザーがクライアントを導くことができるよう支援することに情熱を注いでいる。 タイムライン 1930年の創業以来、皆さんにサービスを提供。 1930年代初頭 ハワイのアジア系アメリカ人は、経済的に重要な役割を担っていたにもかかわらず、広くはびこる人種差別に直面しており、それは生命保険に加入する際にもあった。アジア人は白人に比べ寿命が短いと思われており、保険会社は契約の引受けを拒否したり、法外な保険料を要求したりしていた。保険業界の若手幹部ローレンス・「L.T.」香川は、これは違うと確信し、それを立証する詳細な健康データを集積した。しかしながら、保険会社で彼の言うことに耳を傾ける者はいなかった。 1932 L.T.は、A.P.ジェニーニに会うため、サンフランシスコに向かう。A.P.ジェニーニには、バンク・オブ・アメリカとトランスアメリカ社(後にトランスアメリカ・オクシデンタル生命保険会社に名称変更する、カリフォルニア州オクシデンタル生命保険会社の親会社)の創業者。アポも取らずにロビーでひたすら面会の機会を待ち続けた。L.T.は、自らの調査結果をA.P.ジェニーニに提示、A.Pはこれに納得し、その結果トランスアメリカ社にアジア人に対する生命保険の引受方法を変更するよう命じた。 1933 L.T.は、後にオクシデンタル・アンダーライターズ・オブ・ハワイとなる保険代理店を設立した。この代理店は、トランスアメリカのトップ・プロデューサーの一つに成長する。 1942-1945 第二次世界大戦の開戦後、国民の恐怖と不安から、L.T.と彼の家族、そして12万人の日系アメリカ人が政府の抑留キャンプに移動することを要求される。多くの人が、所有するものすべてを失った。香川家は、戦後事業を再開するためにハワイに戻る。幸いにも、トランスアメリカ社がL.T.の会社や保険業界への貢献を認め、代理店の資産とライセンスの保護に尽力してくれた。 1948 L.T.はジェニーニとトランスアメリカ社を説得し、連邦住宅局の保証付き住宅ローンの提供を、ハワイの低・中所得層のアジア系アメリカ人に向けて拡大するよう支援を取り付ける。これは、マイホームを持つことから締め出されていた何千人もの人々に、新しい、永続する富をもたらすきっかけとなる。 1950年代初頭 L.T.の弟ヨシノブが、ソニーで初のアメリカ人社員になる。ヨシノブは、ソニー創業者の故・盛田昭夫氏に国境を越えた法務やビジネスのアドバイスを提供し、アメリカ、ひいてはヨーロッパの市場へのソニー製品の参入を支援、圧倒的な成功を収める結果をもたらした。 1955 L.T.とヨシノブは、国外にいるアメリカ人や駐在員コミュニティのために日本の保険市場に参入し、日本の財務省からトランスアメリカ社の保険を日本にいるアメリカ人やその他の外国人に代理販売するライセンスを取得した。 1971 L.T.の息子、シクフレッド・「シグ」・香川は、オクシデンタル・アンダーライターズ・オブ・ハワイ社の社長となり、父が始めたビジネスを発展させる一方で、人道的な活動に専念する。 1972 L.T.は、在米日本人に対する先駆者的な貢献が認められ、勲三等旭日小綬章を天皇陛下より授与される。そして、L.T.の弟ヨシノブは、日本企業の海外進出を支援した功績により、勲二等旭日小綬章を授与される。 1988 シグ香川は、ロサンゼルスにある全米日系博物館の資金確保に大きく貢献した。この博物館は、日系アメリカ人が苦難や反対を乗り越えてアメリカ社会の貴重な一員となったことを称える、国家的、世界的な規模のダイナミックな学習センターになるべく設計された。その後、シグはハワイのビショップ博物館で初のアジア系アメリカ人理事長となり、ボーイスカウト協会の全米理事会でもアジア系アメリカ人として初の理事を務める。1997年、シグはスカウトの最高権威であるボランティア賞「シルバーバッファロー賞」を受賞している。 1992 L.T.の孫でシグの息子、スティーブン香川が、カリフォルニア州パサデナに最初のパシフィック・ブリッジ事務所を開設する。 2002 スティーブン香川は、香川家の伝統である社会貢献活動を継承している。カリフォルニア州およびロサンゼルス市は、地域への卓越した貢献と優れた企業市民として、ザ・パシフィック・ブリッジ・カンパニーズ(TPBC)を表彰している。 2005 ザ・パシフィック・ブリッジ・カンパニーズは、ハワイ、東京、香港に新しい子会社と事務所を開設し、世界的なクライアント、提携先、金融サービスのネットワークの拡大に対応するためにビジネスを拡大する。パシフィック・ブリッジは、少なくとも1年間、米国主要保険会社7社のトップ・プロデューサーとして認められた。 2011 2008年のリーマンショック以降、パシフィック・ブリッジは世界的な投資マネージャーと提携し、投資ポートフォリオの引き受けや分析を行う。 2013 ビジネスとクライアントに対するアドバイスをアジアで徐々に展開。パシフィック・ブリッジ・リアル・エステートを起動し、クライアントやパートナーが不動産アドバイザーと協業する新たな機会を提供。 2014 ザ・パシフィック・ブリッジ・カンパニーズは、米国とアジアから移住してきた第一世代のコミュニティに焦点を当て、彼らの新しい米国での生活への移行を支援する。 税法の改正により、多国籍企業向けの新たなサービスが開始され、新たなビジネスチャンスが生まれる。ラコ・エ・ポノ(Lako e Pono)が誕生。 2017 ザ・パシフィック・ブリッジ・カンパニーズは、創立25周年を迎える。 2017 MDRT本部主催の日本初のMDRT多国籍パネルにスティーブン香川が招待され、講演を行う。 2020 スティーブン香川は、MDRTのトップ・オブ・ザ・テーブル諮問委員会で、トップ・オブ・ザ・テーブル年次総会の議長を務める。 2020 スティーブンは、NAIFA(全米生命保険ファイナンシャル・アドバイザー協会)より、ダイバーシティ・チャンピオンとして表彰される。 2021 スティーブン香川、初の著書を出版、「アロハ・ファイナンシャル・アドバイジング: クライアントと自分自身のより良い結果のために善いことをする」がアマゾンでベストセラーに。 TPBC launches its Aloha Financial Advisors® platform. MDRTのトップ・オブ・ザ・テーブル諮問委員会の議長をアジア系で初めて務め、グローバル・カウンシル・メンバーに就任する。